自家製餡のこだわり

自家製餡子イメージ
「餡」は和菓子の命です。製品の約半分は餡で出来ているので、和菓子屋の味は「餡」で決まります。先代より受け継がれた福一の餡には様々な思いが込められています。海苔巻きやお団子などの餅菓子屋から始まった頃の福一の餡は、製餡所(あんこ専門業者)から餡を仕入れてお菓子を作っていました。先代の敏一は餅菓子屋の将来に行き詰まりを感じて、和菓子屋に転身することを決意したときに自家製餡を始めました。餡を自家製造することは重労働で手間暇のかかる作業が多いので、今での多くの菓子店は製餡所に頼るところがほとんどです。近隣の菓子店の中でも「餡」が美味しいといわれるような菓子屋になろうと、自宅の居間を潰して多額の借金をして漉し餡の製造機械を入れました。最初は餡の味や見た目が変わったためにお客様が離れて行ってしまいましたが、先代は自分の勘を信じて多くの人に美味しいと言ってもらえる「餡」を追求していきました。原料の小豆と砂糖を原価など気にせずに最上級のものに変え、ひたすら研究して福一の「餡」は出来上がりました。その意思を二代目尚史(現店主)が受け継ぎ、素材の風味を最大限に生かした「餡」を作り続けています。
福一は我孫子や隣接する市町村の和菓子屋の中で唯一!「餡」の豆を炊くところからすべて手作りしている和菓子店です。
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和菓子職人 池田 尚史

和菓子職人になり早30年近く、たくさんの挫折を味わいながらも皆様のおかげでここまで続けてくることができました。一時は経営者で大成する夢も見ましたが、和菓子の奥深さにふれるに連れ、職人として道を歩みながら地域に根付いた商売人になろうと切磋琢磨しました。「和菓子を通して、我孫子の名を全国へ広める」ことが和菓子職人である私ができる小さな地域貢献であり生きがいになりました。先代より伝えられた技術と味を全国レベルまで上げ、さらに現代の流行を取り入れて時代にマッチした和菓子づくりを心がけています。決して洋菓子に走ることなく、和菓子の伝統を守りながら新しい和菓子をこれからも作り続けていきます。
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創業50年 和菓子文化を我孫子から

昭和41年千葉県柏市で先代敏一が、お店1坪、工場1坪の朝生菓子店「福一」を創業。10年間がむしゃらに働き我孫子市湖北台へ移転しました。その後すぐに自家製餡をきっかけにして和菓子屋への転身を図りました。先代敏一は地域貢献の一環として我孫子の銘菓を作る事に熱心に取り組み、そして誕生した銘菓が「文学焼」と「手賀しぐれ」。我孫子市ふるさと産品として我孫子のお土産として喜ばれています。現在の店主尚史になってから「和菓子を通して我孫子の名を全国へ広めよう」をスローガンに、我孫子に因んだ銘菓を10種類まで増やしました。贈答用の和菓子詰め合わせや手提げ袋、栞にいたるまで「我孫子物語」として我孫子にしかない和菓子を提供しています。贈答品に限らず、お団子大福や茶席菓子など「季節を彩る和菓子専門店」として地域に根付いた親しみやすい和菓子も提供しています。都内のベッドタウンとして栄えている我孫子のなかで、唯一の自家製餡和菓子店。腕も味も全国レベルの「菓子工房 福一」は皆様のおかげで40年の歴史を刻んでまいりました。
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楽書家 今泉岐葉氏とのコラボ 地域の和文化交流

同じ地域で活躍する今泉岐葉氏の特徴的な書で『あびこの散歩道』をパッケージリニューアル。言葉のイメージに合わせて筆文字を表現する、伝統書道とアートをプラスした書道。又、その遊び心で書を楽しむスタイルを総称して、「楽書」と名付けた。「岐葉の楽書塾」を開講している。カルチャーセンター講師も。日本デザイン書道作家協会正会員。写真と書のコラボ、英語と漢字を合体させたE漢字(イー漢字)など、自由な書の表現を開拓中。
店舗ロゴや看板などのデザイン制作や、インテリア書、書道パフォーマンスなど活動は幅広い。バイクに乗って旅先で書を風景とコラボするという、独自のスタイルを生み、バイク雑誌に連載中。
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贈答品として喜ばれています


季節のあいさつと贈り物(お年賀・お中元・お歳暮)
 ちょっとした手土産からご挨拶用のフォーマルな菓子折まで様々なニーズにお応えして調整いたします。帰省時のお土産や御祝をいただいた方へのお返しなどの喜びの形として。または、法要のお返しや、お仕事でのクレーム対応のお気持ちのしるしなど不祝時の手土産として、福一スタッフが真心込めてお作りいたします。

お祝い・内祝い用和菓子
人生の節目に和菓子でお祝いを伝えましょう。様々な場面で使われています。

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お誕生日 和菓子
お子様のお誕生日から還暦、米寿など老若男女に喜ばれているお誕生日和菓子です。
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仏事・法事

法事・仏事用和菓子ご相談ください。


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